1986-04-24 第104回国会 衆議院 内閣委員会 第13号
例えば、法は必ずしも守らにゃならぬというものでもない、「法は高々法に過ぎぬ」とか、あるいは自衛隊は「合法的に成立した合法的政権の政治的信念が自衛隊のそれと對立する場合、」非合法的手段によってこれを倒すに違いないとか、自衛隊といろいろおつき合いがあると称して主張しているわけですね。
例えば、法は必ずしも守らにゃならぬというものでもない、「法は高々法に過ぎぬ」とか、あるいは自衛隊は「合法的に成立した合法的政権の政治的信念が自衛隊のそれと對立する場合、」非合法的手段によってこれを倒すに違いないとか、自衛隊といろいろおつき合いがあると称して主張しているわけですね。
○國務大臣(芦田均君) 公務員と政府とが雇主と雇われ人とのような心持で對立しておる原因がどこにあるかというお尋ねであります。それは憲法の精神が分らないからであります。公務員は國家の奉仕者であつて國民全體の公僕である。政府の役人も、その他の官公廳の役人も、國民の公僕たる地位においては何も變りはない。ただ政府におる關係上、國民を代表して給料の交渉に當つておるだけのことである。
それは然らばそれとしてよろしいのでございますが、次にはこの政府は全官吏の勞働組合からは對立物のような形に置かれておる。或いは又鐵道などにおいては資本家對勞働者という形に置かれておるし、世間も亦おしなべてそういうように考えておるのでありますが、こういうような結果を來たしておるということは一體何に起因するのであるか。政府は資本家ではないのである。
その他に例えば公共の福祉を維持しなければならないというようなことが書いてございますが、公共の福祉というものは、自由人權と何か對立した觀念であるかどうか、これはとかく對立的にお考えになる危險性があるのじやないかと思いますが、公共の福祉と自由人權、基本的人權というものは對立するという考え方は、これはおかしいのでありまして、やはり若しこれを對立するように考えるとすれば、公共の福祉の名において、一種の全體主義的
していらつしやいましたならば、私はこれから、こういう問題が起つたときには、必ず大藏大臣に對し、乃至は厚生大臣に對してかかる事態を發生しておるが、このままで處置するならば非認證の不幸なる結果を出來するが、それでよろしきやというような、そこまでの連絡あつて然るべく、或いは更に百尺竿頭一歩を進めて、長官と會うなり、知事と會うなり、或いは庶民金庫の責任者と會うなり、そしてそこに行政官廳の單なる冷たい權限上の對立
これらの點につきましてはいろいろな意見が對立し得るものと考えますから、必ずしも私の言う點が唯一の意見ではないと思いますが、私の率直な意見を申上げますれば、さようなわけであります。
またこの間私は自分の縣の各海岸の部落を全部まわつて來たのでありますが、中央における課税が苛酷であり、なお地方におけるいわゆる縣單位の課税が苛酷であり、また町村の課税等についても、農民と漁民と對立というような点からして、もちろん税の負擔力においては漁民が多くて、農民は負擔力が少いけれども、住宅の數において農民が多くて漁民が少いというような現象を各海岸で見ておる。
總裁が仙臺に行かれまして、双方の御意見を聽かれました結果は、その當時の仙臺地方の新聞にも出ておりますし、われわれのところにもまいつておりますが、やはり贊否兩論相對立しておるようであります。そこで私たちといたしましては、一黨一派に偏したり、または一部の者の策動によつて動かされることのないように、公正妥當な結論を出したい、かように信じて討議をいたしたのであります。
閣内における意見の對立ということを第一にお取上げになりましたが、まだ私は正式に一度も閣議にこういう問題が協議されたことを聞いておりません。先般私の旅行中に二囘程閣議が開かれておりまするが、そこでもこういう問題が正式に議題として取上げられたことはないのであります。勿論ある方面から話があり、それが報告され、そうしてさまざまな話が出たことはありますけれども、議題として取上げられたことはありません。
最高賃金統制方式、即ち賃金安定方式に對しましては、今非常に私共として不可解に思つておりますことは、五月の二十三日の夜のラジオでは、芦田内閣は初めて閣内において意見の對立が出た。芦田民主黨と社會黨との間に、この問題を通じて對立が起きた、こういうようなことを報じておりました。
朝鮮民主連盟と對立している朝鮮民主建國促進青年同盟、それから居留民團、こういうものがこの事件に大きく浮き出て來ておるのであります。私は、むしろ反對に、こういうところに深い深い企みがあつたと言わなくちやならんように思うのであります。神戸、大阪に亙つて建國促進青年同盟、これが動いておる。それの委員長になつておるものは、玄考變という人であります。
○油井賢太郎君 只今この影響が極めて小さいというようなお話がありましたが、私もあなたの所屬されておる社會黨とは友黨關係にあつて、昨年以來今日に至るまで同友というような感じがいたしておるのでありますが、ただ特定局というような面から感じますものと、意見の對立もあつたということは、これは過去の結果でありまして、そういう關係上、このあなたがおつしやるような影響が少いということは、事實はこういうことを以て、特定局問題
政府が組合側に申しておりますのは、新らしい給與委員會を持ちました機會に、或る問題につきまして兩者の意見が全く對立して話が決まらない、そういう段階になつたときも、中立側を交えて、そこでもう一度懇談をするという、その結果、調停案というものができれば、調停案というものを作つて貰う、それだけであります。從いましてその調停案には兩者いずれも拘束されません。法律的には全然拘束されません。
○岩間正男君 只今政府側の説明がありましたが、主にこの説明の重點は、組合側との意見の相違對立のような點に向けられておりますので、幸いに全官公の代表が傍聽に見えておるのですが、適當の機會において組合側の意見も聽取して、これからの審議の参考にしたい。こういうふうに思いますので、この點をお諮り願いたいと思います。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
せられることが果して穏當であるかどうか、殊に勞働法規を改正しないということは、三黨の政策協定にも盛られておつたと思うのでありますが、勞働大臣はこれにつきましては自分は職を賭しても闘う、全官公勞組に對してはそのために一札も入れておられる、かように伺つておるのでありますが、それ程はつきりした信念を持つてやつておられることを、政府の決定でない、個人の責任で言つておることである、いずれこの問題が閣内で、閣議で對立
詳しいことは分りませんが、ああして兩者對立感情を以て向い合うというのでなしに、一應閉鎖せよと言つたが、向うはなかなか應じない。應じないから、又手を替えて互いに話し合おうというように、廣島、山口あたりで來ておるのじやないか。そんな騒ぎも、調査の上はつきりさせなければならんと思うのでありますが、大阪、神戸の方はその反對を行つた。つまり規則ずくめでぺちやつとやつた。その疑いが濃厚なのであります。
○左藤義詮君 私共の漏れ聞いておるところによりますれば、委員會としては贊否兩論が對立して結論が出ない。贊否兩論をそのまま竝行して政府に答申すると、さような空氣であると伺つたのでありますが、そういう場合には、委員會の責任に轉嫁させることはできませんので、政府としては自主的にこれを解決せなければならない。只今お伺いしましたような大蔵大臣の所信に待つて進まれるのであるかどうか。
それが昨年の九月には同市における映畫館におきまして、些細なことが發端となりまして、兩者の對立が表面化いたしまして、濱松驛の附近におきまして、互に五六十名の總勢が相對峙しまして、血の雨を降らさんとしたのでありますが、この時は迅速な武装警官の大擧出動によりまして、闘爭寸前にこれを鎭壓せられたというようなことがあつたのでありますが、爾來兩者の相剋が日本人と、朝鮮人との民族的な感情をも加えまして、極めて深刻
○鬼丸義齊君 私はこの本質的には或いは同樣な趣旨になるのかと思いますが、先程もちよつと一言いたしましたごとくに、陪審法が布かれましてから後に、陪審裁判というものが殆んど有名無質に開店休業の状態にありますることは、要するに裁判官の意見と陪審員の意見と對立いたしました場合に、何囘でも裁判官の意見と一致いたしまするまで陪審をやり替えさせることにいたしております。
この點については見解の相違か、或いは利害の對立という點になるかも知れませんが、この科學的……科學的と言われるのはどうかと思うのです。
即ち民間給與との權衡から算出をすべしという意見と、一般國民の生活水準から算出すべしという意見とが當初對立しておつたのでございますが、關係方面の意向その他からいたしまして、結局のところ民間給與との權衡から先ずはじくということで話が纏まりました。
更にもう一つ、これは大藏省と安本の對立というものがやはり財源發見を困難ならしめた點があつたのではないか。これはもう殆んど周知の事實でありましようが、安本の方で例えば所得税の張替の財源或いは貿易資金特別會計繰入金の財源というものを安本で持つて行つて、ここに財源があるじやないかと言うと、大藏省の方は、これは承知しない。非常に感情的にも大藏省と安本と對立していたやに私は聞いておるのであります。
顧みまするに、あるときは峻烈なる政爭の渦中に委員相互に相對立したこともございましたが、これらはすべて國民の代表たるわれわれ相互の政治的立場の相違から出たことでありまして、これ革固なる政治的信念のもとに愼重かつ熱心に審査に盡瘁したことのよき證左であると言うことができると信ずるのであります。